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第 8 革 江戸時代(2)
1「僕府の政治改革」 政治
2「産系・交通の発達」 社会
3「江戸時代の文化と学問」 文化 1,幕府の政治改革 〈 〉算保の改革( 1 1716~45 年)
6、7 代の短命な将軍と幕府財政のはたんの後をうけ、8 代将軍と
なった徳川吉宗は、質素と倹約をすすめ、武芸を奨励し、目安
箱を設けて人々の意見を求め、公事方御定書といしんでんかい
はつじょうめんほうう裁判の基準になる法律をつくりました。
さらに新田開発をすすめ、年貢の率を引き上げ定免法、大名に 1
万石につき米 100 石を差し出させ上げ米の制、かわりに江戸在
府期間を半年にするなど財政の再建に力を注ぎました。また、
飢餓対策あおきこんまうも考えて青木昆陽にさつまいもの研究
を命じました。こうして改革はある程度の成果をおさめ、幕府
の財政は一時的に立ち直りました。 青木昆陽の「廿露記」
(高木春白写「重刻甘露記」)
徳川吉宗鍋像 (和歌山県)
〈2〉田沼の政治 (18 世紀後半)
老中田沼意次は、商工業者に株仲間をつくることをすすめ、特
権をあたえるかわりに税を取り立てました。もはや農民の年貢
からだけでは幕府のお金をまかないきれないと考えたのです。
しかし政治が乱れ、天明の大ききんや浅間山の大噴火なども重
なったため、江戸では米を買い占めた大商人などの店や家を破
壊する打ちこわしが起こり、田沼はその職を失いました。
打ちこわし (細谷松茂「幕末江戸市中動図」部分)
百姓一揆と打ちこわしの件数 田沼意次
〈3〉寛政の改革 (1787~93 年)
老中松平定信は、吉宗にならって質素・倹約を命じ、大名には
ききんにそなえて米をたくわえさせました囲米。また、幕府の
学校では朱子学いがくかいこくへいたん以外の学問を禁じ寛政
異学の禁、 「海国兵談」を書いて岸を守る必要性を説いた林子
平を崩しました。しかし、その政治はきびしすぎて失敗に終わ りました。 松平定信 ( 写 棋 )
〈4〉天保の改革 (1841~43 年)
天保の大ききんがおこり、 1837 年、大阪町奉行所与力の大 平 塩
八郎が大阪で反乱をおこして幕府をおどろかせました。みずの
ただくに老中水野忠邦は、出版や風俗を取りしまり、江戸に出
ている農民を村に帰らせました。また、 を引き 物価 げるため 下
に株仲間を解散させ、取り引きを自由にしましたが、 果は上 効
がりませんでした。さらに、財政建て直しのため、江戸・大阪 周辺の大名領や旗本領 轄領 を幕府の直
にして、幕府の力を強め
ようあげきれいとして、上知令 旗本
を出しましたが、大名・ に 反 忠
対され、 ぐっきゃで邦は失脚しました。 大 平 塩 八郎 水野忠邦 (水野象 害 文 ) 〈 〉 5 の改革 諸藩
財政難に苦しむ多くの藩も 政改革を 藩
行いました。中でも薩摩
藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)などでは、藩内の物 藩 産を の専売
制とするなどして、財政の建て直しをはかりました。 薩摩藩 (鹿児島県) 長州藩( 口 山 県)